健民少年団の誕生秘話

・子供たちに遊び場を

子供たちに健康な環境を与えて社会悪から彼らを守るというこの急迫した課題解決のため、昭和25年当時の横浜市体育課は、「子供の遊び場」設置運動を展開して全市民に呼びかけた。この運動計画は、都市計画の児童公園とは別に、街の中に30坪なり50坪なりの空き地を市民が提供し、そこへ市が遊具としてブランコ、滑り台その他の「遊び場器具」を設備するという案であった。そして子供の行動半径は狭いのが自然だから「子供の遊び場」は数が多いほど有効であるという事であった。同年6月磯子町に最初の「子供の遊び場」が作られて以来34年3月までに152個所に「子供の遊び場」が次々に設置された。

このように急速な発展が遂げられたのは、第一には、当時の市民の要求に即応した運動であった事、そのため市民は進んで場所を提供してくれた。第二に市民の住居の近くに比較的容易に作る事ができ、そこで子供が安全に楽しく遊び得て親も安心だという事であった。

 この「子供の遊び場」は、その地域の有志によって編成された「子供の遊び場管理委員会」にとって運営された。遊び場が子供たちに十分利用され、子供たちの身体的・精神的成長のために、有効な環境となるためには、適当な管理が必要であった。せっかくの施設も注意が行き届かないと、いつのまにか破壊された。壊されたままで放置されていると子供たちは却って粗暴になり、他の公共物に対しても破壊を好む傾向があった。また「子供の遊び場」が、子供に対して好ましくない影響を与えるような事に大人たちが利用する危険もあった。委員会はこれらの事情に十分な注意を払って熱心であった。

さらに、遊び場の利用については各地域に配慮されていた体育指導員(現在の健民指導員)の協力によって適切に指導された。

このような熱心で適切な運営によって、子供たちに健全な遊び場が与えられ、その効果は、具体的に子供の生活や成長に現れるようになった。現在では152の「子供の遊び場」が既設され、益々発展の途上にある。


・指導組織

 次に「子供の遊び場」運動場からの大きな前進を特筆しなければならない。同27年に「子供の遊び場」運動が事実上発展してきたとき親たちも健康の問題を改めて意識するようになり、健康問題は市民の日常生活の中で解決されなければならないという事から各地区に「健民会」が新しく生まれた事である。すなわち、子供たちの健康が実際に守られ、かつ健康な発育を遂げるためには先ず親たちの健康意識が高められなければならない、という事を理解した委員会は、その地域内の一般市民の健康増進のためにも、健康意識の啓発のためにも様々の計画を立て、これを実施した。町内の体操会、ハイキング、健康問題についての座談会や研究会などが各地で開かれた。この運動が組織化されて健民会の組織運動に発展してきたのであった。

この健民会の組織運動には、これを全面的に支持した横浜市健民課(先の体育課を改名したもの)は、その育成に多いに努力した。この際に注目すべき事は、この運動の家庭に於いて従来行われてきた体育行政が反省され、批判されて新しい転換を遂げつつあった事である。すなわち過去の体育行政が、スポーツに限定されていたのに対して、市民の健康生活を対象とする限り、むしろ市民の日常生活の中に健康を実現すべきである、という市民生活の広汎な分野にわたる転換が行なわれたのである。それの基礎づけとして農村地帯、商業地帯、工業地帯、住宅地帯など都市の典型的地域における健康、衛生、環境、体育施設などの実態調査が行なわれ、その結果は横浜市健康教育資料として印刷し、公表された。

これらの調査は、健民行政の諮問機関として組織された健民審議会(従来の体力審議会の改組されたもの)を主体に行われた。この実態調査の結果にかんがみ審議会は、市民の健康状態と健康意識の増進の必要上、各地区に置かれている健民指導員の資格向上を要望した。すなわち指導員は単に体育の技術的指導にとどまらず、社会的指導者としての見識と能力を持ち、強い指導力のある者であることが力説された。この調査に現れた一つの傾向は、横浜市の住宅地帯が、東京都の郊外住宅化しつつある著しい変化であった。各地区に生れ育った健民会は、市民の健康生活を実現するための自治組織として発展し、市民の健康増進健康意識の強化に大きな貢献をしてきたのであるが、更に忘れる事のできない業績は、地域内の青少年体育活動の助成と指導を、重要な実践活動の一つとして取り上げた事である。当時大戦災都市に加えて基地としての横浜市の生活環境は、青少年のために望ましいものではなかった。「子供の遊び場」運動に一応成功した今日、健民会が青少年に関心を示すようになった事は時宜を得たものであった。

このようないきさつから、健康問題を中心にした青少年の組織かが要求され、そのためには青少年が自発的にこの問題を取り上げ、日常生活の中でそれを具体化しなければならないという考えが母胎となり、やがて健民少年運動の誕生を見るに至ったのであった。それはまことに「子供の遊び場」からの自然な生い立ちであり、また輝かしい発展であった。


・健民少年運動

 健康なる市民の育成という極めて重要な課題解決を中心に展開された健民会の活動が、今やその焦点を少年に絞ってきた事は前節で述べた通りであるが、この事は全国的に見ても少年問題が社会的にクローズアップされてきたのと軌を一にしていた。従って健民少年運動発展の社会的地盤は既に準備されていたのである。

昭和28年3月下旬に、各地区の健民会から推薦された少年、少女1200名が、田園地帯である神奈川県相模原町での交歓活動に参加した。これが健民少年運動として計画的な活動に移った最初の試みであった。当時この運動の指導理論はいまだ確立してはいなかった。むしろ生きてはたらく指導理論は、“実践から出て実践に変えるべきだという根本方針を堅持していたので実践とともに徐々に再構成すべき”であると考えていた。従ってこのたびの交歓活動も、都市生活者である少年たちを、日が明るく照り、新鮮な空気に充ち、緑の樹々が茂り、清冽な水が流れている自然環境に連れ出し、そこで営まれている農民生活を親しく検分し、出来れば農民生活を体験させて、健康で創造力豊かな少年育成の一方途たらしめようという目的があった。しかるにこの交歓活動は、今日健民少年運動の重要なプログラムとなったのであるが、それはその後何回かの経験から交歓活動のもつ教育的な価値が、少年たちの事実上の成長によって実証されたからである。個の相模原での交歓でも、わずかに2泊3日の農家分宿であったにもかかわらず、再び駅頭に集合した少年たちの顔は明るく、目は輝き、胸は語るべき体験で膨らみ、彼らが3日前ここから分宿地へ向かう時とは、まるで別人のように思われた。

同年3月以来、「健民少年の手引き」に続いて「健民少年運動の研究」「健民少年運動の方向」などが刊行されたが、この手引書の中に「横浜に在住する11才以上15才までの少年少女で、まとまった地域内で5名以上が単位として結成する」という規定があるが、これは、健民少年運動の基本組織としての健民少年団の結成と、それが地区単位の組織を基礎に形作られる団組織である事を示したものである。同7月に行われた京都交歓活動は、厳しい団組織の訓練を経た1300名の団員の参加によって挙行され、行程は3泊4日、団員一人の負担は、旅費、小使その他一切を含めて600円であった。それでも市民の一部からは「費用がかかる」という批難の声が聞かれた。しかし少年たちが1千有余年に渡る歴史と文化の都市生活から受けた有形無形の影響と、さらに少年たちが要求していた生活への満足感とを考えれば、さきの批難は償ってなお余りあるものである。これにつけても日本国民を貧しい生活から救済する良き政治の出現が痛感される。

同年8月には、京都市の少年1300名、相模原町の少年500名、柏崎市の健民少年団員40名を横浜に迎えて交歓活動が行われた

健民少年運動は、団活動の内容として、交歓活動のほかに、自然活動、日常活動、地域活動をそれぞれ展開していった。同年4月には神奈川県国府津町(現在の小田原市)で、自然訓練会が開催され、各地域ではキャンプ訓練、スポーツ訓練、ハイキングなどの活動が活発に行われるようになった。このようにして健民少年団は、急速に成長して昭和28年12月末までに組織された地区72、団員約4000名となった。

昭和29年3月には、春休みを利用して全国健民少年大会が、三ッ沢の丘で行われた。参加都市24、他都市の参加団員150名で、合同キャンプ訓練と交歓活動が主な行事であった。

昭和29年に入ってから団員数の伸び悩みが著しい現象となった。その原因の一つは中学校の予備校化と共に生徒たちに団活動に参加する時間的余裕がなくなってきた事であるが、しかしそれにもまして深刻な問題は、学校教育と社会教育とが相互の理解の上で、相提携して行われない時は、却って少年たちを不幸にするという事であった。すなわち学校にあっても社会にあっても少年は人格の同一性に生きているのに、教育目的が二元的になるとき、分裂させざるを得ないからである。したがって健民少年運動としては、団活動における社会性の目覚めと訓練、集団生活の組織能力の培養を直接目標として学校教育との協力を提案した。しかしこれは今後とも望ましい協力として解決されなければならない重要課題である。

これらの発展は、決して偶然に生じたのではなく、当時の横浜市健康教育課の青木課長を始めとして増田、滝沢係長及び課員全部の不眠不休の努力と各地域における勝れて熱心な指導者の献身的奉仕と健民審議会の協力とが相俟って創り出した結果であった。この成果が健民少年運動を全国的に発展させる契機となり、横浜は健民少年運動のメッカとして浮彫されてきた。

全ての運動には、人、時、事件などの影響からくる消長がある。昭和30年には横浜が国体の開催地となり、健康教育課の総力はその準備に向けられた。それに続く課長の二度の交代があり、健民少年の総合的な活動計画は一時的小康を保つ程度に留まった。しかし、この際特筆すべきは、中、神奈川、南、鶴見の各区のように指導者が組織的訓練で成功している地域では、健民少年団の精神は堅持され、その活動は持続的に行われていたという事である。

昭和32年2月下旬、三ッ沢スポーツ・センターの一角に建てられた少年の家で、2泊3日にわたる班長訓練会が開催された。これは新しく陳陣を整えた健康教育課が、健民少年運動振興のために打った最初の布石である。

その後の展開に関しては、指導員制度について述べなければならない。

昭和32年度は、従来の健民指導員制度から体育指導委員制度へと切換えた年である。すなわち、健民指導員は昭和25年以降、市内に100名が委嘱され、地区の健民活動の振興に当たっていたが、漸次普及発展して120名に増加されてきた。この組織を生かし、また健民少年運動の推進にも役立てるため、健民指導員のみに責任を負わせる事から、全住民の組織の上に乗った組織活動へと進める事になった。即ち、各町内会から1名の健民委員が推薦され、80の連合町内会ごとに健民委員連絡会を設けた。そこから2名又は3名の体育指導委員の推薦を受け、全市で1000名近くのものが市教委から委嘱された。体育指導委員や健民委員は地区内又は町内における住民一般の健民レクリエーション活動の普及振興に当ったり、少年たちの健康活動を促進する事などの任務を持っている。この点から今まで指導者の熱意によって行われていた健民少年運動が、次第に町内会の支援を得て行われるようになり、昭和33年度には10隊近くの結成を見るようになった。

外部との関係では、横浜市開港100年記念行事の一つとして5月末に全国都市青少年体育振興会議が開かれ、60余名の参加者によって、@各都市では青少年のグループ活動を促進する。A同名の団体を組織する。という事になり、横浜市長平沼亮三氏を同会議の議長に依頼する事になった。同会議は横浜市と共同して昭和34年3月末に3泊4日の全国都市青少年交歓会を開き、全国から120名の少年、少女たちが20都市から集まり、新設の三ッ沢青少年の家で行われた。昭和34年度文部省でこれらの問題を取り上げてスポーツ少年のグループの育成に乗り出してきたが、横浜市においても未組織少年の対策の一つとしてプレイグラウンドの指導を通じて、少年たちの健全な育成に資するため、本年度は新しい事業として取り上げる事になった。昭和34年は少年たちにとっては、やっと明るい日差しが差し込んできたという事ができる。この日差しがどのように輝いてくるか今後の課題である。


★健民少年運動のねらい

・人間形成と健民少年運動

全ての教育は、生きている教育であるか、死んでいる教育であるか、この二つのうち何れかである。生きている教育というのは、その教育の中で人間に形作られる教育の事である。もし健民少年運動が、少年の人間形成と結びつかないならば、真の少年運動ではない。すなわち、健民少年運動として展開されるもろもろの活動の中で少年は自ら人間的にも成長していかなくてはならない。少年に技術的訓練が大事なのは、その技術が生活に役立つという事のほかに、技術の持つ客観的性格によって少年自らが客観的性格の人間に自分を生い立たせるからである。そして技術は一層貴重なものとなるのである。

活動の中で少年が自らを人間として生い立たせるためには、何のための活動であり、自分はどう行動すべきかを少年自ら考える事である。古代ギリシャの最も優れた哲人ヘラクライストが、「思考は最高の得なり」と言った意味で、思考によって自己の内部に新しい人間を形作るからである。

しかし少年は、経験にもいまだ乏しく、知性もいまだ十分に発達していないから、自ら考えるという事に慣れていない。しかも思考作用は人間内部の心的作用であるから、外部から思考する事を強制する事はできない。そこで必要な事は、少年が思考しやすいように少年の心を開放してやる事である。しからば少年の心はどんな環境の下で開放されるかといえば、少年が自由を感じた時で、それは指導者が少年に対して心からの好い感情を持って接する時である。好い感情をもって接するところで少年は、それを歓びとして感ずるが、歓びは心に自由を感じた時にまた開放された心の表現である。

心の開放は、全ての能力の開放である。したがって思考力も行動力も、そこでは自発的となり、活発となる。そこで、活動の中における少年の目の輝き、自発性、活発さは、指導者の好い感情を示すバロメータであるといえる。

エネルギーの過剰は少年期の特質であるが、思考の欠乏は現代少年に見られる著しい現象である。現代の少年犯罪が極めて単純な仕方で行われているが、しかしその結果には慄然たるものが多い。この犯罪の殆どが思考の欠乏に基因している。彼らのエネルギーをマイナスかラプラスへ向けさせるためにも、思考する事の習慣をつけさせる事である。

「横濱健民」S26.12.11第25号より抜粋

健民会の手引き草案 (研究過程の原案である

1.健民活動の必要

現代の都市生活は人間の健康のために多くの悪い影響を与える要素を持っている。

都市生活が肉体的、精神的に打撃を与えて、神経質、腺病質、狂燥性等の傾向に堕り易く、知らず知らずのうちに健康が破壊されている。また健康という事は単に肉体が丈夫だというだけを考えるべきでは無く、精神的なものや時代の風潮を共に考えなければならない。

一般的な都市生活の様式は働く生活も余暇生活も人間の健康問題は余り考慮されずに営まれており、病気になった時だけ身体の事を心配する程度である。健康生活の確保、更に健康や体力の増進を中心に考えられた生活の営みと、これの市民的な運動が必要になる。これが健民運動である。

このためには非常に広い範囲の活動が考えられる。例えば、

  ・健康的な都市計画、緑地帯、健康厚生施設、レクリエーション施設
  ・住宅の健康的な設計や建築
  ・住居の衛生や街の清潔
  ・病気の早期発見と対策
  ・衛生的生活と病気の予防
  ・規則正しい生活と健康法の普及
  ・体育運動、スポーツの実践
  ・健全娯楽と余暇利用
  ・旅行や親睦行事
  ・子供と母の健康問題−乳幼児保護や母性保護
  ・子供の発育の助長と病気の予防
  ・子供の遊び場の指導と管理
  ・健康のための組織と協力体制
  ・虚弱者の保護とこれの対策
  ・純潔教育と性的予防
  ・食物と栄養
  ・健康のためのよい衣服
  ・健康のための社会的行事
  ・健康のための生活改善
  ・仕事の能率と技術の向上
  ・健全で楽しい生活の設計

このように広い範囲の健康のために役立つ、総ての活動は健民活動である。
 
 健民活動は各人が、自分の身体の状況や、環境に応じた一番よい健康法を行う事である。だが現代の状況では、特に都市生活者にはこういった健康法を夫々に行えといっても無理でなかなか実現されない。社会的な運動として、あるいは協力体制を作って、自覚的にこれに進むような方策でなければ実現されない。個人別々では行い得ない部門が多い、このため健康活動をを行う社会的な運動が必要になる

都市では衛生や病気の予防については色々と考えられており、実施されているが、真とうに健康や体力を増進して人間の幸福を得る積極的な面に欠けている。衛生や予防を病気中心の考えから積極的に健康を進める体系の中に組み入れなければならない。健民活動はこのための社会的な運動である。

.健民会の必要

この健民運動を横浜市で実践するためには、地域の自主性に基づく組織を作り、健民推進の母体としての健民会が必要になる。これは地域住民の健康福祉のための共同体の建設で、スポーツやレクリエーション、日常生活様式等を住民の身体的、精神的、地域的な特性に応じて健康を確保するために行う営みを居住地を単位として社会的に展開する協力方式である。

3.健民会の活動

1.活動内容

地域の特性と実状により、内容も決定されるが、次のような内容が考えられる。
   @共同の力による地域住民の健康のための日常行事。
    ラジオ体操会、その他体操会、早起き会
   A地域の健康や体育の施設の建設。
    子供の遊び場設置、体育館、広場(運動場)浴場の体育施設
   B野外運動の実践
   C旅行のための組織
   Dスポーツ行事、運動会の開催
   E健民協議会の開催
   F地域の健康管理
      春秋衛生検査と同時に身体検査の実施(保健所、衛生委員協力)職場、学校等で行わぬものについて行う。
    幼児、主婦、その他。健康バッチの制定。健康相談日の設定。(健民課協力)
   G休日のプログラム(健民の設定)
   H家庭健康の啓蒙−生活改善
   I健康家庭の表彰
   J健民生活実践者の表彰
   K健民手帳の取扱
   L地域の美化、清潔奉仕
   M季節による健康活動
   Nその他健康行事

2.健民会の組織

地域社会の健康のための共同体を作る組織であるから、活動のための組織として生きた活動が行われるように
地域の実状に即応する事

健民会の作り方
  ・子供の遊び場管理を中心に健民会に発展する
  ・健民指導委員の主唱で有志が発起人となる
  ・婦人団体が主唱して作る
  ・青年団がその活動として健民会を作る
  ・子供会を推し進める
  ・その他

3.必要条件としては
    (1)地域住民が自主的に組織して健康のための会である事
  (2)地域の一般住民が自発的に会員になったもので構成し、特定の人だけの会にしない。地域住民が協議し、
    実践する。
    (3)地域的な実状にもよるが、50戸〜100戸で構成するのが適当であろう。(この構成の戸数が困難な
    地域は、その理由を報告されたい)

    (4)地域にある民主事業、衛生事業、教育、文化、経済新生活動。婦人団体等夫々の健康に対する機能をあ
    げて、健民活動に総合統一されるような協力体として運営される

    (5)運営に当っては代表者を定め、会の委員を作る。これには地域居住者の一般の意向が反映する代議員制が
    よい(5戸1名程度)ただし、地域の実情に即応する運営人員が適切である。

    (6)月3回以上の会合を設けて意見の交換、啓蒙を行う
    (7)会費は必ず定めて取る。寄付金などで経費の総てをまかなう方法は面白くない結果を生み易い。会費は
    実状で定める。

 ・子供の遊び場を設置する
 ・名称は○○○健民会として、地域、目的、象徴的な、何れかの名称でもよいから健民会とする

横浜市は次のような援助をしたいと考えている

1.施設の援助
2.運営の助成
3.指導者の派遣
4.その他