<健民少年団の誕生>
第二次大戦後、荒れ果てた横浜市では子ども達を守るため、「子どもの遊び場」設置運動が始められました。この遊び場を管理する「管理委員」が「健民指導員」となり、健民運動が広がっていきました。健康な市民を育成することから「健民少年団」が結成され、健民指導員がリーダーとなりました。横浜市では、その後、健民指導員が体育指導委員になっていきました。その後、全国的に健民運動が広がり、健民少年団が結成されていきました。
全国の都市の体育担当者で組織されている「全国都市青少年体育振興会議」において、都市少年団の全国組織をつくることや、全国青少年交歓大会(今の全国大会)の恒常的開催が協議され、昭和36年「日本健民少年団連合」が結成されました。また、健民少年団のよき理解者であった大島謙吉氏(ベルリンオリンピック三段跳び選手)や森徳二氏らは、健民少年団にヒントを得て東京オリンピックを目指して現在の「スポーツ少年団」を創設しました。
日本健民少年団連合に加盟する各都市団は、各地域で健民運動を展開するとともに、年に一度の交流活動「日本健民少年団連合全国大会および全国都市青少年交換大会」を実施してきました。現在は「日本健民少年団連合全国大会」として交歓活動を継続しています。
平成27年8月24日には「特定非営利活動法人(NPO) 日本健民少年団連合」として認証を受け、社会的信用の中で青少年の健全育成や有益な社会人の育成を図り、地域社会の発展に寄与しています。
<彦根市健民少年団の誕生>
彦根市においても、敗戦後の混乱した時代に、次代を担う子ども達を健康で明るく育てていこうと、少年団・子ども会・日曜学校等をつくり歌やゲームを中心に楽しい集いをしていました。その頃、横浜で健民少年団の全国大会が開催されるとの通知を受け、彦根市で活発に活動していた双葉少年団(昭和24年9月結成)・みはた子ども会・松原子ども会の16名が参加しました。その翌年、昭和29年4月29日に3団体の少年少女128名が集まり「彦根市健民少年団」を結成しました。
<目的>
青少年の健全育成をねらいとし、健全な心身と社会的人格を養い、併せて親睦をはかる。
<活動>
1.自然活動(野や山や水辺に出て、自然に親しみ、健康な心身をつくる)
ハイキング、キャンプ、登山、サイクリング、スキー
2.交歓活動(環境等を異にする各地の生活を体験し、他都市の子ども達と友情を交わす)
都市交歓会、日本健民少年団連合全国大会、全国青年指導者研修会
3.奉仕活動(地域社会や他の人々への奉仕)
共同募金活動、清掃活動、野外活動指導
4.地域活動(地域の実情に応じた組織と内容方法によって、以上3活動を行う為の基礎となること
を実習する) 集会活動、集団行動訓練、技術訓練(救急、結索等)、スポーツ・レクリェーション
<分団>
活動を円滑にするために、分団を設けています。
第1分団 男子(城東、佐和山、旭森、鳥居本)
第2分団 男子(城南、城陽、若葉、亀山、河瀬、高宮、稲枝東、稲枝西、稲枝北)
第3分団 男子(城西、城北、金城、平田)
第4分団 女子(全小学校区)
第5分団 中学生